黃淳樑派詠春拳
当団体は詠春拳の中でも取り分け実践的を特長とする黃淳樑派詠春拳を始祖としており、
黃淳樑師公を師事した李恒昌 師父の弟子の角田が教えると言うことになります。
日本人の方が理解し難い内容ですが、
詠春拳のスタイルは個人個人によって変化します。
葉問スタイル、黄派詠春と肩書は良く言いますが、肩書で実力や団体のカラー、実力、もっと言うと本当に葉問スタイルなのか、黄派スタイルなのか。
それすらも解りません。
実際わからなくなるくらい変化しているのが現状です。
私は入会した人には必ずこう言います。
入会しても黄派とか、李先生の肩書がもらえることにはなりませんよ。
私が教えるんですから、李先生から詠春拳習ってるのと同義ではないですよね?
だからといって、精度や基本功の練度が有象無象になる訳ではありません。
基本功と呼ばれるカンフーは正しい練習を、正しい心持ちで何年もかけて研鑽しなければ、ついてこないモノです。
角田が教える詠春拳は角田にしかできないかも知れないけど、それらを練習する事によって角田を超える御自分の詠春拳ができるはずですから。
でも。だからといって。
イップ・マンの弟子から習うとイップ・マンの詠春拳ができる。ブルース・リーに近づいたと感じる。
そんなことは一切ありません。
そもそも詠春拳を習う理由は
詠春拳がしたい!
その1点だけで良いはずです。
誰か高名な拳士を並べて自分との立ち位置を比べる。そんな理由では詠春拳は学べないし、教えても理解不可能かと思います。
詠春拳は技や学びが少なく、運動量も他の拳法と比べ極端に少ない拳法です。
(詠春拳の練習で運動量を上げる方法を知っていればそんな事ありませんが)
代わりに気付きが沢山用意されています。
気付かない、気付けない限り詠春拳の向上は不可能でしょう。
最後に
念頭不正,終生不正
こういった葉問が残した言葉がありますが、
小念頭が正しくないと(間違っていると)
死ぬまで正しくない(間違ったまま)
と言った表の意味と
前提(考え方)が正しくないと
死ぬまで間違ったまま
と言った裏の意味があります。
自分がやってる内容が本当に詠春拳かどうか、
入門したい団体(先生やマスター)が詠春拳だと言っても、俯瞰してください。
せめて自分のしたい詠春拳かどうか位は分別してください。
心の中や考え方に、いつまでも葛藤を。
その葛藤が感応速度を高速化させ、技や動きをシームレスにします。
